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愛知ユニオンの活動報告

 Knさんの闘い終決!

2018年2月13日、Knさんと会社の示談が成立しました。

社長の文書謝罪、会社は二度と労災を起こさないと確約、会社代表社からKnさんに示談成立の際にお詫びの言葉、損害賠償額は最高水準、Knさんに笑顔が戻りました。

これまで、Knさんの闘いを支えて頂いた皆様、ありがとうございました。

Knさんは肉体労働が無理な体になり、会社を退職し、4月から職業訓練を受けます。

パソコンの能力を上げ、未来に向けて歩き始めました。

時々、労働者が勝つことがあるが、ますまず広がり行く団結が労働者の未来を作ることを信じ、これからも闘い続けます。

支える会の仲間は100名を超えています。さらに広がりを作っていきます。

一人ひとりの労働者の闘いの積み上げが日本を変える力になります。

上記、文責 書記長 長谷川恒夫

  

   

 

 

 以下、裁判・解雇・転職等の主な相談・闘争等主な事案について経過を掲載します。

①Tmさんのセクハラ問題に関わる会社の安全配慮義務違反

 コンビニで販売している菓子パンを製造する会社Fで起きたセクハラの安全配慮義務違反をめぐる闘いの報告です。

パート日本人女性労働者であるTmさんが同僚労働者Toから2014年9月頃よりセクハラを受け、精神疾患(ストレス障害)を発症し、セクハラのない環境を作るためにTmさんとTmさんの夫が愛知ユニオンに加入しました。

Tmさんは心理療法による治療を続けながら、体調が悪くても、必死に仕事を続けましたが、精神的・肉体的にも限界に達し、2015年1月16日より病気休職に入りました。

愛知ユニオンで話し合いながら要求をまとめ、会社Fにセクハラのない職場環境整備を求め、2014年12月26日に第1回目の団体交渉を行い、2015年2月、3月と団体交渉を積み上げ、7月3日に会社FはTmさんの要求を全面的に受け入れ、Tmさんは和解しました。

会社Fのセクハラのない職場環境整備体制作りはほぼ完了し、愛知ユニオンが要求してきた安心して働ける職場作りが進み始めています。しかし、Tmさんは会社Fに復帰すれば、トラウマとも言えるフラッシュバック状態になる可能性が強く、ストレス障害は環境を全面的に変えないと治癒は難しく、職場復帰を断念し、当面、治療に専念し、新しい一歩を歩き始めています。Tmさんは次のように心境を語っています。

「自分だけではここまでできなかったと思います。精神的にもいろいろ支えていただき感謝しています。仲間の力があったからこそだと思います。どうやってこれから、自分が他の人の役に立てるようになるのか、考えています。切り替える気持ちになれば意外にすぐに忘れてしまうのでなんとかこれからも進めるかと思います。嫌なことを忘れないでいることのほうがエネルギーはいりますから、良くも悪くも忘れる時期が来ると思います。これで、やっと今までよりは重たい気持ちを忘れることができます。」

愛知ユニオンではTmさんのセクハラ被害の勇気ある訴えと愛知ユニオン内での気持を出し合える信頼関係で、Tmさんのストレス障害が治癒に向かうと信じています。

Tmさんは自分の経験を生かし、愛知ユニオンのセクハラ問題相談者として活躍したいと話しています。

②労働者は使い捨て

 ある荷役会社での事です。労災隠しが多い港湾関係会社で、労働者を使い捨てにしている会社です。現場監督が安全確認もせずに作業をKnさんに指示し、山積みされた大豆の入った袋の荷崩れが起き、Knさんは2.5トンの大豆袋下敷きになり、一生、働けない体になりました。死を意識するような体験で、PTSDも発症しました。PTSDは今の医学では治癒が不可能です。

 会社に誠意がなく、見舞いにも来ず、Knさんの代わりに奥さんが会社に電話しても「本人としか、話しはしない。」と横暴な態度でした。労基署の指導、愛知ユニオンからの会社に誠意を示せとの抗議書により、奥さんをKnさんの代理として認めるなど、会社の態度は変わり始めています。今後、安全配慮義務違反について、団体交渉で、荷役会社を追究し、労災保険で支給される障害補償給金以外に会社に対する損害賠償を求めた提訴をする予定です。

 

③日系ブラジル夫婦、Fさん・Mさんは解雇撤回の裁判が名古屋高裁で継続中です。

しかし、Fさんの場合、2005年の解雇であり、証人もいなく、証拠も皆勤表彰状のみであり、厳しい状況になっています。Fさんは2005年当時、工場内の階段から転げ落ち、その後、2週間程度、会社を休みましたが、年休が20日以上ありましたが、欠勤扱いになりました。おそらく被告会社はFさんが労災申請をしたことが気にいらなくて、解雇したと思われます。

 

④現在、名古屋地裁岡崎支部で、ある自動車部品製造会社から、市議会でのIsさんの発言に対する損害賠償とマスコミへの謝罪広告を求めた裁判が継続中です。

 

ホームページを開設したこともあり、労働相談が増えています。3ヶ月で、介護施設職員からの労働相談が4件、病院で働いているパート労働者、機械の設計をしている請負労働者、その他、10件以上の労働相談があり、面談しました。

 

⑤Nsさんの裁判闘争

 岡崎郵便局で30年間、パートとして働いてきたNsさんが2010年10月7日に郵便配達中に交通事故を起こし、上司のYo課長から退職勧奨と「局車の修理 代をどうする」と言われ、10月8日に見せしめ的な交通安全スポット放送・集配営業課社員全員の前で、左右確認体操先導役をさせられ、大きな精神的ダメー ジを受け、不眠症・摂食障害になり、精神的にギリギリの状態で働き続けました。

 そして10月29日午前、配達指定の代引き小包に ついて「配達時間の連絡がない。買い取れ。」と届け先から岡崎郵便局にクレームがありました。Nsさんが午前配達を終え、郵便局に戻ると、Yo課長は「あ の代引き品物は僕が買い取りましたよ。女房に叱られましたよ。Nsさんどう思いますか。」とNsさんを責めました。そして午後の配達中、岡崎郵便局に戻っ た時に、Yo課長に何を言われるのか分からないと気になり、10月29日の夕方に2度目の交通事故を起こしました。それ以後、Nsさんは車の運転が怖く て、できなくなりました。

 11月1日、支店長室でMo支店長から「ものすごい事故お金かかるよ。どうする」と暗に退職・修理代を 要求され、Nsさんが支店長室を出て、業務企画室で事故処理をしていると、Yo課長がすぐに退職願を書くように催促しました。Nsさんは「年休を消化して からにします」と言いましたが、Yo課長から「年休?考えとくわ」と言われ、放置されました。

 Nsさんは2010年11月2日に心療内科を受診し、うつ状態と診断され、以後、年休消化後、休職になりました。NsさんとNsさんの娘さんが岡崎郵便局に対する責任追及を求めて、2011年8月11日(木)に愛知ユニオンに加入しました。

  Nsさんに対する行き過ぎた指導をしたYo課長および管理監督の最高責任者であったMo支店長の謝罪文書②慰謝料③労災申請書の記載事項(うつ病になった 原因)について、4回の団体交渉を岡崎郵便局と愛知ユニオンで行いましたが、岡崎郵便局はすべての要求を拒否し、決裂しました。

 同 年、7月と8月に岡崎郵便局前で職員向けのチラシ配布・街宣行動を行い、2012年8月28日に訴状を岡崎裁判所に提出しましたが、2013年10月21 日に岡崎裁判所は岡崎郵便局の嘘の主張をほとんど認め敗訴しました。現在は名古屋高裁で係争中です。裁判ではNsに対する上司のパワハラ行為の有無・うつ 状態発症原因が争点になっています。

 岡崎郵便局は「職場において何らかのパワハラ的行為が行われたとしても、それだけで、当該行為が法的にも違法不当なものとして、加害者もしくは使用者が何らかの法的責任(損害賠償責任)を問われるということにならない。」と開き直っています。

 一方、労災申請は岡崎労基署では心理的負荷が「弱」として、不支給決定処分され、愛知県労働局への審査請求ではYo課長の行き過ぎた指導を認めましたが、心的負荷は「中」と判断され、労災認定はされませんでした。

 

⑥Isさんの未払い残業代問題

 大手人材派遣会社刈谷営業所に対して、2013年3月29日に未払い残業の支払いを求め、交渉を申し入れました。しかし、労務管理は本社で行っており、本社法務部担当者とメール、電話等で未払い残業代ついて、協議し、満額支給に勝ち取りました。

⑦Osさんの退職について

 Os さんは勤務する下水道会社の社長から2013年6月末「今月一杯で社会保険を脱退し、7月からは個々に国民健康保険をかけてくれ」と言われました。7月1 日に事務員さんがOsさんに手渡した健康保険喪失連絡表には「退職6月29日、喪失6月30日」と記載され、社会保険を脱退するために、全員を解雇して、 再雇用する」と事務員さんから告げられ、Osさんは再雇用を断り、7月3日に退職に伴う下記の事項について、確認文書を社長と取り交わし、会社都合として 退職しました。

その後、社長と交渉し、有給休暇(25日)の買い取り、解雇予告金の支払い、未払い残業代の全額支払いを勝ち取りました。

 

⑧Nrさんの退職・転職

 Nr さんは建設資材販売会社から2010年8月31日に即日解雇通知を受け、愛知ユニオンと建設資材販売会社の社長と交渉を行い、同年、9月11日に合意書を 締結し、8月31日付け会社都合退職しました。その後、地元の人材派遣会社に就職し、主に経理関係の仕事をしてきましたが、社長は別に職業を持っており、 会社に全く出勤せず、無責任経営で、取締役が会社の資金繰りもNrさんに相談し、いつ倒産してもおかしくないし、賃金遅配も続き、2013年7月25日付 けで退職し、給食会社で経理の仕事をしていましたが、経営者の無責任経営により倒産しました。

 その結果、T市の学校給食が一定期間ストップし、社会問題になりました。労働者が社会を支えていることがはっきりしました。

 

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